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2011-05-06 (Fri)
4日の毎日新聞の計画停電に関する特集を読みました。
計画停電はやっぱり苦渋の決断だったのですね……。
記事を読みながらあの2ヶ月前のことを鮮明に思い出しました。
ここからだらだらと思考を書きなぐるのであまり震災関連について見たくない方は回れ右。
輪番停電という名は最近使わなくなりましたが、その言葉は土日のうちから耳にはしていたような気がします。
どうも電力供給が追いつかないから強制停電するらしいと……。
輪番、という聞きなれない言葉に何が起こるのか不安を隠せませんでしたが、うちの母は語感からグループ分け発表後すぐ仕組みを理解していました、ぱねぇ。
(こういうところでも教養は大事なんだなと感じつつ。
学力とかではない実生活に根ざす教養、うちの母はそういう教養がすごくあります。
大学で国文学専攻だったはずの私形無し/(^0^)\)

新聞では14日当日まで関係機関とのギリギリの連絡調整が続いたとありましたが、確かに色々ギリギリだったなとは思いつつ、情報自体は出ていたのだから心の準備はすることができたはずという対立意見も心の中に浮かびます。
私の同期はその少ない情報から適切に推察することに長けていて、電車の間引き運転もその同期から知りました。
こういう人がちゃんと社会の上にいれば混乱も少ないんだろうに……。
私はまんまと混乱に引っかかって、入場規制の長蛇の列に飲まれましたけどね!
なぜ全線動いてるんだ京王線^q^ 頑張って会社行きましたよ!
せっかく同期のメールで間引き運転が察知できたのだから、入場規制もちょっと考えれば分かったはずなんですが、ううむ。
結局京王線が止まる前に帰らされて、テレビを見ていたら被災地での初停電……。
これはちょっと「えっ」と思いましたけど、新聞では「グループ分けが適切でなかった」としか触れられておらず。
いやいや色々な裏があったんだろこれ……という感想は口に出しても問題がはらみすぎるので今は閉ざしつつ。

記事を読んでいて思ったのは、「本当に切迫していたんだ……」ということ。
震災から数日一気に冷え込んだ日に、やたらと電力不足が叫ばれましたが、電力需要が供給の99%越えという数値を見て改めて戦慄。
気温ってそんなにも電力に影響があったのかというのは数字で見て初めて分かりますね。
マクロな世界。
我が家も居間で固まってささやかな節電を試みていましたが、ミクロな世界ではマクロな実感は湧きにくい。
でも政府の勧告でギリギリ大規模停電を避けられたということは……ミクロレベルでマクロレベルの問題を動かしうるということでもあったと思います。
今回はマクロな力が働いてそれを成しえましたが、「こういう事態だから」とミクロレベルでマクロを想定する力がみんなにあれば、もうちょっとスマートに成すこともできたはず。
それは現在も継続中な課題です。

先日、MSNから電力使用量メーターがトップから消えていました。
ちょうど今頃の気候は暖房も冷房も必要なく、電力使用量は安定し計画停電の心配はないとは思いますが。
夏場は電力使用量が大幅に増えるというのはずっと言われていることであって、まだまだ継続中の問題なんですよね……。
心を休めないともちろん保ちませんが、今この時期を夏場の予行練習にしないといけないんじゃないかとも思います。
というかすごく思うのは、節電節電と言うけれど、「節電」は震災の前からずっと言われていたことじゃないかということ。
「節電」は震災うんぬんの努力というより、私たちが日常の一部として生活に取り入れておくべきことじゃないんでしょうか。
今さらのように効きすぎたエアコンを消し、エレベーターの使用を控えるわが社を見てそう思ってしまいます。
毎回エレベーター使ってた私が言えることではありませんが……ぜーはーぜーはー(´Д`;)
6階の職場……苦しいですorz

冷房を消し窓を開けた電車、暖房をやめて厚着を進めた職場。
私はもともと冷暖房の風が苦手な人間なので、意外と快適なことに驚きます。
(このまま夏場の過剰冷房がなくなると嬉しい人間です←
私は35度くらいまで冷房つけないので……逆に暖房は20度切ったらつけますけど。
20度未満は冬です、極端ww)
現実的な話、冷房をもう少し控えても意外といけるもんだと信じています(職場で35度まで耐えろとはさすがに言わない)。
そのために今から服を用意し、水を多めに買い……できることは色々あるんじゃないでしょうか。
今は落ち着いている。だからこそ今ある情報から推察を重ね、しなくちゃいけないことがある。
記事を見て、当時すごく慌ててしまった記憶を思い起こして……そんなことを思った次第です。


補記
節電はあくまで生活の一部としての努力だと思っています。
体調を崩したり、生活に支障の出るレベルの節電はしてはいけません。
「どこまで何をやるか」のボーダーがあるわけでないのに、それを求めることは間違っていると思います。
「出来ることを適切にやる」ことが本当に求められていることです。
電力が必要な機器によって生きている方にも同じことを強要し生命を捧げさせるのはまったく等価でないのと同じく、人にはそれぞれできる適切なレベルがあるわけであって。
支援というのは、お金をいっぱい寄付する人がボーダーで、ボランティアに行く人がボーダーなわけでもない。
「これ以上やろうとしたら心がもう頑張れない」というところまで含めて、自分に何ができるかは常に考えていくべきことなんじゃないかなと思います。
人生そういうもの。

メモ
「やらなければならないことがある」ということ(マクロレベル)
「できることがある」ということ(ミクロレベル)
「これは私たちの問題である」ということ(マクロとミクロをつなぐ意識)
を持ち続けること。
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